2015年05月04日

蘇る太陽の塔

太陽の塔.jpg

千里中央から大阪モノレールで彩都西に向かう途中で、久しぶりに
大阪万博公園の『太陽の塔』を見ました。

大阪万博の時は、私は中学2年生でした。
アメリカ館などの人気パビリオンは結局入れなかったのですが、
現在の東京ディズニーランドのように、いるだけでワクワクして
いたのを思い出します。そしてあれから45年経った今でも、
鮮明に思い出されるのがシンボルタワーである『太陽の塔』と、
その内部の「生命の樹」です。

でも、考えてみれば非常に妙な話で、万博自体はテーマが確か
『人類の進歩と調和』で、その実科学技術礼賛が本音だったのは、
当時中学生だった私にも判る事でした。ですが、そのシンボルを
体現してる筈の『太陽の塔』のどこが、『人類』で『進歩』で
『調和』なんでしょうか。どこが「科学技術」で
「礼賛」なんでしょうか。

実は、万博構想の当初には、シンボルタワーも太陽の塔もなくて、
始まる前に急遽浮かび上がった構想でした。


万博のサブプロデューサーだったSF作家の小松左京が、
岡本太郎を紹介して、内容に注文は付けないという条件で
引き受けさせた、という事だそうです。(かなり曖昧)
岡本太郎は当時、フランスから帰ってきて何年か経っており、
日本の伝統や源流にものすごい興味を抱いていました。
万博で、1億総日本人が未来を向いている時に、岡本太郎
ただ一人は過去を、それも日本の原初を見つめていました。

なので、出来上がった『太陽の塔』は、殆どの人にとって
意味も不明なら目的も不明という、とてもじゃないが
どこが万博の『シンボル』なのかさっぱり判らん、という
代物でした。第一、名前すらが決まっていなくて、
『太陽の塔』も誰かがその場の思いつきで付けた、いい加減
なものだったようです。よくこんな物に、巨額の税金使って
文句が出なかったなと思います。

しかし、45年後万博の構造物で残っているのは、意味も
不明なら目的も不明という『太陽の塔』ただ一つです。
想像ですけれど、誰か特定の人がこれを残そうと言った
訳ではなくて、日本人の集合意識がそうさせたのでは
ないかと感じるのです。

当時、岡本太郎は縄文土器に熱い視線を向けていました。
そういう意味でもう一度『太陽の塔』を見ると、巨大な
「縄文土偶」のように思えます。意識はしなくとも、
日本の風土の中で5万年以上も続いた縄文時代のDNAが、
私の血の中で蘇るような気がします。

そして、今年2015年に、『太陽の塔』の内部が
公開されます。
posted by ジャパニスト at 15:02| エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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