2015年03月22日

リトアニア歴史概論ー最初の住人(翻訳)

紀元前1万8千年まで、リトアニアの版図は氷河で覆われていた。
紀元前1万8千年から1万8千年までの間に、氷河は退いていった。
約1万年から9千年前、西部や北部地域から出発して、リトアニアの
現在の地域に達した人々が、そこに定住し始めた。彼らの主な仕事は、
狩りと漁撈だった。狩りのための主な道具は、木製の弓矢と硬い先端を
もった槍だった。 硬い石を使って、彼らは骨でできた短剣、魚の骨で
できた槍、針や他の必要な道具を作った。居留地として、彼らは硬い
石を見つけることができる川の高い土手や湖の畔を選んだ。

紀元前4千年代半ばにリトアニア人の狩人は土器を作ることを学んだ。
犬は当時唯一の家畜で、人が狩りをするのを助けた。狩りで得た獲物に
加えて、彼らの食べ物には、野生の果物、液果、ナッツ、マッシュルーム
や野生蜂の蜂蜜が加わった。居住民はかつては何年にもわたってー時には
何世紀にさえもわたってー一箇所でかつ同じ場所に留まるのが常であった。

これらの狩人や漁撈の民は、獣の歯や動物で作られた装身具を身につける
ことを好んだ。
一方で、彼らはまた琥珀製の装身具も好んだ。琥珀でできた人間や動物の
姿が、この当時広まっている。

スベントジ(バルト海沿岸の居留地)での石器時代の居住跡から、木で
できた人間の頭部が見つかった。
それは、紀元前2500〜2000年の期間に遡る。考古学者は、そこに住んで
いた石器時代の人々によって崇拝されていた、異教の神の像ではないかと
推測している。

年月を経るにつれて、人々は家畜を飼ったり幾つかの植物を育てるように
なった。
しかし、農業と家畜の飼育は彼らの生活に、非常に小さな役割しか果たさ
なかった。彼らは部族共同体の中で暮らしていた。彼らは共同で狩りをし、
魚を捕り、獲物を分け合いそして近隣の共同体の攻撃から、彼らの狩場や
漁場を守った。当時の人々がどんな民族の土地に属していたかは、分かって
いない。

紀元前3千年代の終りに、西に向かって移動していたフィンウゴル語族は、
リトアニアの版図に達した。
彼らは石器製武器を使い、主な仕事は狩りと漁撈だった。フィンウゴル語
族は私たちの国を横切り、もう少し先まで行った。しかしこれらの人々の
ある部分は、リトアニアの版図に落ち着いた。言語学者達は、ハラ、キデ、
キベ、ルジャ、ピラディス、ティルケといった湖や川の名前が、これらの
人々によって付けられ、今日まで生き延びたのだと考えている。比較的
少ない数の場合は、新参者は元からの住民を追い出しも吸収もできなかった。
時がすぎるにしたがって、フィンウゴル語族は、土地の人々と混血していった。

紀元前2千年代が始まった頃、もうひとつの新来者の波が、南方と西南の
方から押し寄せて来た。
彼らもまた石器人だった。が、彼らは作物を栽培して、動物を飼育した。
この地域の気候は当時、農業と畜産のためには非常に有利だった。実際、
これらの人々は農民だった。しかし、狩猟と漁撈も依然として重要な仕事
だった。時が過ぎ人の数が増えていくにつれて、彼らはリトアニアの全体
に広がっていった。彼らの近い親族たちは、その周りの広い地域に居住した。
これらの人々はインドーヨーロッパ語族で、リトアニア人が属するバルト
族の祖先である。 紀元前約2000年、バルト族は東部のトベリとカルーガを
加えた線から、西部にあるビスクの下流の向こう岸にあるペルサンテ川まで
と、北部のダウガヴァの中流から、南部のプリピャチ沼沢地までの領域の広々と
した広がりを占めていた。

紀元前17世紀から16世紀のどこかで、最初の金属製の道具や武器が、リト
アニアの現在の領域に到達した。
紀元前16世紀から6世紀の間からは、青銅器だけが知られている。そして
この期間は時代は、青銅器時代と呼ばれている。

年月を経るにつれて、人口規模と共に作物の耕作と牧畜が増加して行った。
畜牛の群れ、作物や他の財産を隣接する集団の侵略から守ることが必要と
なった。彼らの財産をそれまで以上に守るため、離れた集団は防御機能が
施された農場を建設し始めた。丘の頂上は、二重の柵を備えた囲いを巡ら
された。一郭には、内部にたくさんの小さな貯蔵室を備えた長い建物か、
土間の上に暖炉を備えた分離した小さな四角い建物群の、どちらかがあった。

その柵を巡らされた空間の大部分は、集団の動物たちのための囲いで占め
られていた。
このようにして、定住か土手の新しい形が姿を見せ始めた。

紀元前八世紀から七世紀初頭にかけて、鉄製品がヨーロッパ中央に広まって
行った。
鉄製の道具や武器は、青銅製のそれらを駆逐し始めた。紀元前7〜6世紀には、
鉄製品は東部バルト族が居住する地域に現れた。紀元前5世紀には、彼らは
リトアニアの領域に到達した。しかし、紀元1世紀の初めまで、リトアニアに
住む人々は彼ら自身で鉄製品を製造することができなかった。当時は変化の
条件が有利ではなかったので、鉄製品は非常に少なかった。しかし、西暦1世紀
後半、人々は実質的にリトアニア全土で発見できる”沼鉄鉱”から鉄を製造する
ことを学んでいた。彼らは鉄製斧、小刀、はさみ、針、片手鎌、大鎌や、武器の
ような他の道具も作った。鉄製道具の使用は、農業の発達に重要なインパクトを
もたらした。しかし、紀元前の最後の世紀までは、私たちは人々の生活について
考古学的な発見からしか判断することができない。

現在まで通じる鉄製器の時代の始めに、リトアニアは当時のバルト族が暮らす
僅かな領域しか、版図にしていなかった。
posted by ジャパニスト at 21:14| リトアニア歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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