2015年08月17日

「アバター」6回目観ました

「アバター」の描く驚異の立体世界


職場近くのTOHOシネマズで観ました。TOHOシネマズで使う3D眼鏡は回収式で、
先に観たワーナーマイカルでは使い捨てタイプでした。構造自体も頑丈で、掛け
た瞬間に一瞬チカっと光ったように感じましたが、気のせいかもしれません。
何かを調節したのかな。そのせいか、3D映像の自然さが、まるで違いました。

手で触れるような存在感と重量感・質感が驚異的です。前は眼が少しおかしく
なった実写や接写の場面が滑らかで、人の顔の凹凸や小さな物体までが違和感
がありません。メガネだけでこれだけ違うのだとすると、オリジナルの立体映像は、
ものすごく完成度が高いのだろうと思います。予告編でやっていたディズニーの
『アリス・イン・ザ・ワンダーランド』は3Dに非常に無理があり、まるで、立体絵本を
見ているような稚拙さでした。

「アバター」にアカデミー賞は関係ない


何故、6回も(うち4回が3D)足を運んでいるのでしょうか。ストーリーは
当然同じな訳ですが、ハレルヤ・マウンテンという不思議で広大な空間を鳥に
乗って滑空する爽快感、夜のジャングルでの夜行植物の幻想的な美しさ、
ナウ゛ィ族の巨大な「ホームツリー」での樹上生活の「秘密基地的」な面白さは、
何度観ても新鮮で感動的です。何故なら、「観て」いるのではなくて、アバターで
あるジェイク・サリーと共に「体感して」いるからだと思います。キャッチ・
コピーにもありましたけど。ジェームズ・キャメロン監督の異惑星パンドラを
まるごと再現(?)しようというこだわりといか意気込みにはものすごいものが
あります。 

加えて、ヒロインのネイティリの芯の強さや可憐さをCGの顔の微妙な表情や
動作で表現してしまう、キャメロン監督の手腕と飽くなき探究心は、単なる
VFXを超えていると思いました。前作の『タイタニック』でも感じたこと
ですが、キャメロン監督は特撮監督出身にも拘らず女性の崇高な内面や感情の
襞を描ける人です。それは映画全体に単なるCGスペクタクルを超えた
「情感」が流れているからだと思います。それだから、何度観ても見飽きる
ことがないのだと思います。

公開から1ヶ月以上経っているにも拘らず、300席を超える座席はほぼ
埋まっていました。公開期間から考えてリピータがかなりいるのだろうと
思います。一言で言えば、私は完全に「嵌まって」いるのですが、主人公の
ジェイク・サリーがいみじくも言ったように『世界が逆転したようだ。
あちらが現実で、こちらが夢のように』思えます。空想の世界を現実以上の
現実にしてしまった、「アバター」はアカデミー賞の範疇さえ超えてしまって
いるのかも知れません。

話は飛びますが、中国では「アバター」が強制的に公開「終了」になった
そうです。未開人への迫害や資源の搾取と、それへの抵抗が現実の中国の
姿を彷彿とさせる(かも知れない)という「深読み」のためらしいですが、
虚を突かれるような観方です。何でもかんでも政治化してしてしまう体質
には心底驚かされました。


ラベル:アバター
posted by ジャパニスト at 05:51| 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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